勝手に認定!京橋国宝!【歴史施設編】

勝手に認定!京橋国宝!【歴史施設編】

まち歩き

大阪府 大阪府大阪市城東区新喜多1丁目2番31号

We Love 京橋 これを読めば京橋の歴史がわかる!?京橋の歴史施設をご紹介。京橋を知り尽くした、テレビでおなじみの人、鷲見慎一さんが語ります。

ミッション内容

フカボリ投稿(5)

  • ■京阪京橋駅
    大阪府大阪市東区・都島区にある京阪電鉄の駅。
    1910年に蒲生駅として設けられ、1932年に現在のグランシャトーの場所に移転しました。その後、1969年に現在地へ移転し、高架駅になり、京阪ショッピングモールが開業。
    2017年に京阪モールリニュアル工事が行われました。

    1975年頃から駅ナカで販売されているフランクフルトは、1日平均700本売れる京橋名物。ケチャップなしでも美味しく食べられる濃いめの味付けで親しまれています。
    We Love 京橋さんの写真
  • ■藤田美術館
    明治時代に活躍した実業家藤田傳三郎氏と、息子の平太郎氏・徳次郎氏によって1954年に築かれた美術館です。

    大名旧家や寺社に伝えられてきた文化財の多くが、明治維新を機に海外へ流出したり粗雑に扱われたりすることに危機感を覚えた藤田傳三郎氏が収集した美術品が展示されています。
    国宝である曜変天目茶碗が藤田美術館に展示されています。
    曜変天目茶碗は、世界に3椀しか現存しておらず、歴史的価値が高い茶碗です。

    2017年6月11日から2021年度の開館に向けて現在リニューアル中です。
    We Love 京橋さんの写真
  • ■大長寺
    近松門左衛門作の人形浄瑠璃「心中天網島」の主人公、小春・治兵衛ゆかりの地として有名。
    「心中天網島」は、享保5(1720)年10月14日、天満の紙屋の主人治兵衛と曽根崎新地の遊女小春が大長寺で心中した事件が元になっています。
    二人は大長寺で命を断ってしまったのを人々があわれんで建てたのが、大長寺に建てられている比翼塚です。

    大長寺は網島町(旧藤田邸跡公園)にありましたが、明治42年に今の場所に比翼塚と一緒に移されました。
    We Love 京橋さんの写真
  • ■身代わり地蔵
    二人地蔵尊
    右側の小柄な方は交通災害の身代わり地蔵さん。
    左側の方は長寿と厄除けの護り地蔵さん。

    ・右側の身代わり地蔵さんについて
    昭和44年、自動車の激突事故が発生しました。
    両方の車は接触したまま鯰江川に向って二転三転したにもかかわらず運転手はかすり傷一つなくエンジンがかかっているのに火災も起らず、
    ただ、身代わり地蔵さんの首だけが取れていたそうです。
    それから住民はもちろん、特に運転される者からは生き仏様として尊敬されています。

    ・左側の護り地蔵さんについて
    幾度となく傷つかれたこの身代わり地蔵さんを助けて、鯰江川の埋め立て、新京橋駅前商店街の建設工事などに、無事故であることを祈願し、併せて野田町から片町へと町名の変更などもろもろを祈念して奉祀されました。
    We Love 京橋さんの写真
  • ■蒲生墓地
    大阪七墓の一つである蒲生墓地。大阪の中に点在した、大阪七墓と言われる墓地は千日前墓地、小橋墓地、梅田墓地、浜墓地、葭原墓地、蒲生墓地、鳶田墓地の7つ。この大阪七墓を巡るのが「七墓巡り」と言われています。江戸時代、近松門左衛門の作品にしばしば登場し、流行した、お盆に大阪七墓を巡る「七墓巡り」は、肝試しやまち歩き、お寺巡りのような感覚で楽しまれていました。

    七墓を巡ると「自分が死んだ葬式の日に雨が降らない」という霊効があるとされていたそうです。

    今では、この七墓巡りも明治維新以降、お墓が統合され、墓地も管理されるようになると自由に出入りができなくなり、下火になってしまいました。墓の多くはマンションや公園に生まれ変わっており、現在残っているのはこの蒲生墓地と南濱墓地。

    京橋にある蒲生墓地は、管理許可を取れば入ることもできますよ!
    We Love 京橋さんの写真